ENJOY BAD DAYS, ENJOY GOOD DAYS

自分のことや好きな音楽のことなどを書いていきます

軽音部の先輩とシンセサイザー 2

昨日の続きです。(一部記事修正しました。)

 

前回の記事はこちらです。

punkumaryuya.hatenablog.com

 

U先輩:軽音部の1つ上の憧れの先輩。陸上部にも入っている。小室さんファンで、小室さんがプロデュースしたシンセサイザー、EOS B700を持っている。

Kくん:地元も一緒で近所に住む1つ上の先輩。U先輩とは陸上部で一緒。学園祭でU先輩とTMの曲をコピーし、ボーカルを担当していた。Kくんの弟がぼくと同学年で仲が良く、Kくんも弟も小学生のときに習っていた空手で一緒だった。

Eちゃん:地元も一緒の女子。高1の途中で軽音部に入り、一緒にバンドを組む。中学のとき英語のスピーチコンテストに一緒に出場した。

 

 

Eちゃんをボーカルに迎えて組んだバンドの活動がはじまり、その後も変わらずぼくはglobeや朋ちゃんなど、小室さんの曲の楽譜をよく買ってキーボードで練習していましたが、どうしてもシンセサイザーが欲しくて、年明けに自分の貯金で買ったシンセサイザーYAMAHA EOS B900です。

母親はこのときも呆れていましたが、楽器屋の奥さんは「でも楽器はいいですよ」と言ってくれました。

 

B900は先輩が持っていたB700より新しい、当時発売したばかりの小室さんプロデュースのシンセサイザーです。

(当時コムロギャルソンがメインになっていたテレビ東京の『ASAYAN』の中で、EOSのCMが流れていた。CMには小室さんも出演していて、CMで流れていたのがのちに『SWEET 19 BLUES』に収録される安室奈美恵の「i was a fool」)。

 

シンセサイザーはキーボードと比べると音の種類も豊富で、自分で曲を作ることもでき、EOSには別売で小室さんがプロデュースした作品のデモ音源が収録されたフロッピーディスクがあってとても魅力的でした。

 

ぼくが買ったシンセサイザーを見てU先輩は「いいなー。こんな機能もあるんだ」とうらやましそうでした。

 

その後はこのシンセサイザーで活動するようになりますが、重量が18kgもあり、専用ケースに入れると持ち運びがとても不便でした。

自転車やバイクでも背負えるギターやベースと違い簡単に持ち運びできないので、シンセサイザーを持っていく日は車で送ってもらいますが、校門から教室まで持っていくのも苦労しました。

途中から肩にかけられるケースを買いましたが、それでも華奢なぼくには大変でした。

(大学のときにシンセサイザーを肩にかけ、電車で何度も乗り換えをして実家に持ち帰ったら肩が血だらけになったことがあった)

 

 

高1の冬、卒業する3年生を送る予餞会がありましたが、1年から出たのはぼくが抜けた後のバンドで、出られなかったぼくとEちゃんはお互い「すっごい悔しかったよね」と言い、来年は絶対やりたいねという気持ちでした。

 

シンセサイザーを買って、可能性が広がったことで、これからは自分が好きな音楽をやりたいと思い、Eちゃんにボーカルをお願いして、高2で同じクラスになったベースの男子にもかけもちをお願いして、3人で、ジュディマリの曲をやるバンドと別に小室さんの曲のコピーをすることになりました。

 

高2の学園祭では、ジュディマリコピーバンドで1曲と、小室さんの曲を3曲披露しました。(「BOY MEETS GIRL」、「恋しさと せつなさと 心強さと」、「Feel Like dance」)

このとき3年生になったU先輩は1年生の女子をボーカルに迎えglobeの「DEPARTURES」を披露し、学園祭のあとに行われた後夜祭でも披露しました。

先輩にはやはりオーラがありました。

 

U先輩、Kくんたち3年生を送る冬の予餞会では、3人(ぼく、Eちゃん、高2で同じクラスになったベースの男子)で「I'm proud」を披露しました。

シンセサイザーで音源を流し、ピアノをミュートして、グランドピアノでぼくがピアノを弾くというスタイルでした。

予餞会のあと、U先輩に「かっこよかったよ」と言ってもらえたことがとてもうれしかったです。

 

このころになると、コピーだけでなく、シンセサイザーで自分の曲を作るようになっていました。

作詞作曲を始めたのは小学4年のときですが、これまで自分でアカペラで歌ってカセットテープに録音するだけだったのが、シンセサイザーで打ち込みをして、オケの状態まで形にするようになりました。

 

高3になって、重いシンセサイザーを持ち運びするのが大変だったため、教室の廊下にあるロッカーの上に置いたままにして、毎朝早く登校して少しずつ打ち込んで曲を作っていました。

 

高3の学園祭では、バンドでは相川七瀬の「恋心」、ジュディマリの「くじら12号」を披露。そのほかにあとから軽音部に入ったクラスの友達SくんとEちゃんがデュエットするのにPUFFYの「サーキットの娘」を打ち込み、小室さんの曲ではU先輩と「DEPARTURES」を披露した1つ下の女子にもボーカルをお願いして「I'm proud」、「Don't wanna cry」を披露し、Eちゃんにはコーラスを担当してもらいました。

Eちゃんとは「FACES PLACES」、「FACE」、「Feel Like dance」を披露。

学園祭のあとの後夜祭では、Eちゃんがボーカル、Sくんがコーラス、ぼくがシンセで「Can't Stop Fallin' in Love」を披露しました。

Feel Like dance」、「Can't Stop Fallin' in Love」ともにSくんがラップをやりたくないと言って、なぜかぼくがシンセとラップを担当したのですが、コーラスをやりたかったのが後悔している点です。

 

学園祭が終わり、軽音部の活動も終えて、受験に向けての毎日。

進学校だったので、夏休みもほぼ毎日学校に行き、当時校内に新しく建てられた施設でよく勉強していました。

2学期になると土日も毎週のように模試があり、当時を振り返るといちばんがんばっていた時期だと思います。

 

勉強の合間にシンセサイザーを弾いて曲も作っていましたが、クリスマスイブに、ちょうど作っていた曲の区切りもついて、受験本番に向けてシンセサイザーを封印しました。

 

無事に大学に合格し、シンセサイザーをケースから出して最初に作ったのは、高校を卒業する自分に向けての曲でした。

大学に入学してからの話はまた書こうと思います。

 

YAMAHA シンセサイザー EOS B900の取扱説明書

JUDY AND MARY 「くじら12号」のバンドスコア