ENJOY BAD DAYS, ENJOY GOOD DAYS

自分のことや好きな音楽のことなどを書いていきます

軽音部の先輩とシンセサイザー

この時期になると、高校の学園祭を思い出します。

思っていたよりも記事が長くなったので、2日にわけて書きます。

 

高校に入学してなかなかクラスに馴染めず、中学のときのいじめに近いようなこともあってつらかったのですが、音楽に対する思いは強くなっていました。

 

中3の夏、高校の説明会で軽音部があることを知り、入学できたら絶対入りたいと思っていました。

 

入学してすぐ、体育館で行われた新入生歓迎会

ボーカル、ギター(かベースどっちか忘れた)と共にステージに立ち、シンセサイザーTM NETWORKの「We love the EARTH」を演奏する先輩を目にしたぼくは衝撃を受けました。

確か、今まではギターやベース等だけだったのが、こういう場でシンセサイザーが登場したのはこのときが初めてだったそう。

 

ある日の昼休み、軽音部への入部希望者が2年生のクラスに集まりました。紙が配られて自分の名前と好きなアーティストを書くように言われて、ぼくはZARDと書きましたが、そのとき近くにいた先輩と小室哲哉の話になって、「あ、でも小室さんも好きです」と答えると、「(紙に)書け書け」と言われて書いたのを覚えています。

その先輩こそが、新入生歓迎会シンセサイザーを弾いていたU先輩でした。

 

U先輩はほかの先輩と、当時内田有紀が小室さんプロデュースで新曲「Only You」を発売する話をしていました。

ほかの入部希望者はギターやベースなどロックが好きな男子ばかりで、軽音部にシンセサイザーを弾いている部員はほとんどいないようで、ぼくは浮いている感じもしましたが、U先輩との出会いによって大きく気持ちが変化していきました。

 

U先輩は小室さんがプロデュースしたYAMAHA EOS B700というシンセサイザーを持っていました。

ぼくはなぜそんな高価なものが買えるのか不思議でしたが、先輩は高校に合格したときに買ってもらったと言っていました。

 

「どんな音楽をやりたいの?」

accessとかやりたいです」

accessは難しいぞー! LYIN' EYESって曲あるじゃん、すっごい難しいよ」

 

内田有紀のOnly Youの最後にずっと鳴ってるピアノ好きです」

 

「大ちゃん (浅倉大介)が弾いてるKX5かっこいいですよね」

「あれだけじゃ音はならないんだよね」

 

当時まだシンセサイザーに関してあまり知識がなかったぼくに、いろいろ話してくれました。

 

 

軽音部といっても実際は同好会で、学園祭でのバンド演奏のほかにはほとんど活動もありませんでしたが、クラスでは暗く静かなぼくが軽音部に入っているというのは、当時まわりからは意外だったかもしれません。

 

入部したものの楽器を持っていなかったので、GWに祖母が3万円くらいのキーボードを買ってくれました。

家では自分の好きな音楽を弾いていましたが、軽音部の1年生に自分と同じ音楽が好きな部員がいなくどう活動していいかもわからないまま、6月の学園祭に1年生の部員だけで1曲演奏することになり、楽譜のコピーをもらいました。

ぼく以外の、ボーカル、ギター2人、ベース、ドラムの1年生5人で曲を決めたようで、楽譜のコピーをもらったときには「これやるから」みたいに言われた感じでした。

結局、高1の学園祭で演奏したのは1曲。知っている曲でしたが、勝手に決められた曲で、ぼくがやりたい音楽ではありませんでした。このときぼく以外の1年生の部員はいろいろな先輩たちとほかにバンドを組んでいて、何も知らないぼくは、何曲も披露しているほかの部員たちをうらやましいと思っていました。

 

U先輩は「LOVE TRAIN」など、TMの曲を数曲やっていて、このときのボーカルは近所に住んでいるぼくの友達のお兄ちゃん、Kくんでした。Kくんは1つ上の地元の先輩で、小学校のとき習っていた空手が一緒でした。ぼくはKくんの弟と仲が良く、部活も習い事も一緒で、中学のときは毎朝一緒に通学していましたが、Kくんとはあまり話したことがなく、少し怖い印象がありましたが、Kくんが高校に合格したときはなぜか自分のことのようにうれしくて、憧れのような存在でした。

 

U先輩は陸上部にも入っていて、Kくんも陸上部で、ふたりともTMのファンで、それで一緒にユニットを組んでいるようでした。

 

U先輩のほかに、EOS B700を持っている先輩がいて、その先輩は「WOW WAR TONIGHT」を披露していました。

当時のぼくには、CDと同じような音源がシンセサイザー1台から出ていることが不思議でとても画期的でした。

 

ぼくが持っていたキーボードは、いろいろな音は出せてもシンセサイザーのような機能はなく、20万円近くもするシンセサイザーを持っている先輩たちがうらやましかったのです。

 

高校に入って初めての学園祭が終わり、その後もたまに何曲か楽譜のコピーをもらって、高校の近くにある楽器屋のスタジオに集まって練習したこともありました。

もらった楽譜はラルクの「Blurry Eyes」、GLAYの「ずっと2人で…」など。

Blurry Eyes」は「ボーカルが入る直前の音が楽譜に載っていないんだけどキーボードでこの音出せる?」なんて言われたり、「ずっと2人で…」は個人的に好きで、のちにひとりで練習したりしました。

でも、途中で違う部員が入り、ぼくの代わりにキーボードを弾くことになり、それらの曲にぼくは携わらずにバンドから抜ける形で終わってしまいました。

 

その後、そのバンドにいたギター2人のうちの1人、ベース、ドラムのメンバーが兼任で、「JUDY AND MARYのコピーをやろう」ということになって、ぼくのほかに新しく女子Eちゃんをボーカルに迎え、5人でバンドを組みました。

Eちゃんは地元が一緒で、家も近く、中学のときに英語のスピーチコンテストに一緒に出場したりして親交があり、最初にわけもわからずバンドを組んだときの複雑な気持ちはなかったと思います。

 

楽譜のコピーをもらったのはジュディマリの「ドキドキ」や「小さな頃から」。

「小さな頃から」はキーボードのパートが多く、当時のぼくは必死に覚えていた気がします。

 

つづく

 

YAMAHA シンセサイザー EOS B900と対応のフロッピーディスク