ENJOY BAD DAYS, ENJOY GOOD DAYS

自分のことや好きな音楽のことなどを書いていきます

唯ちゃんとミポリン、歌手デビュー39周年

子供の頃、『スケバン刑事』や『セーラー服反逆同盟』が大好きでした。

 

スケバン刑事』はフジテレビで放送されていて、3作とも好きでしたが、特に好きだったのが『スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇』です。

この作品で浅香唯のファンになり、結花 (大西結花) の武器である折鶴がすごく好きで、金と銀の折り紙でよく鶴を折って持ち歩いていました。

 

同じ時期に日テレで放送されていたのが中山美穂仙道敦子W主演のドラマ、『セーラー服反逆同盟』です。

ミポリンは当時多忙で同時期にフジテレビのドラマ『な・ま・い・き盛り』の主演も務めていたので、『セーラー服反逆同盟』にはほとんど出ない回もあり、仙道敦子がほとんどメインでした。

 

ミポリンは『毎度おさわがせします』や『夏・体験物語』ですでに人気アイドルになっていましたが、当時ぼくは『毎度おさわがせします』を観た記憶がほとんどなく、『セーラー服反逆同盟』の印象がいちばん強いです。

 

このドラマでは後藤恭子演じる渋川ケイの武器であるチェーンが好きで、折鶴同様、よく黄色いチェーンを持ち歩いていました。

 

セーラー服反逆同盟』に関しては、各話の内容やセリフも覚えているほど。

小2のとき、仙道敦子演じるユミの「天に代わって成敗する!」という台詞をひとりで真似していたら、自分が言われたと思ったのか、ちょうど横を通った担任に頭を叩かれたこともありました。

 

今日は、そんな思い出深いドラマに出ていた浅香唯中山美穂が歌手デビューした日です。(あさってが南野陽子の誕生日&デビュー日)

 

1988年~1990年ころ、この2人に南野陽子工藤静香を加えた4人が『アイドル四天王』と呼ばれていて、4人とも好きでしたが、特に唯ちゃんとミポリンの存在は大きかったです。

 

唯ちゃんはビブラートが特徴的で歌がうまく、アイドルの中でも特別な存在でした。

大ヒットした「C-Girl」より、前後に発売された「Believe Again」、「セシル」、「Melody」が好きで、初めて買ったカセットテープが「Melody」でした。

当時発売されていたアルバム『Candid Girl』が欲しくて、叔父さんにカセットテープを買ってもらったあと母親に怒られたり、親戚の家で聴いていたラジオから「雨が雪に変わった夜に」が流れてきたり、写真集を見に、家から1時間ほどのところにあるデパードに入っている本屋さんによく行ったり、ラジオを聴くのに遅くまで起きていたり、唯ちゃんがCMに出ていた「とってもゼリー」をよく買ったり、いろいろな思い出があります。

 

アーティスト志向が強く、ウィスパー唱法に変えたり女性作家陣のみのアルバムを作ったり、ドラマでもクールな女性を演じたり、当時はどんどん大人っぽくなっていた印象です。

 

 

ミポリンは数多くのドラマの主役を演じていますが、小学生のときに観た『ママはアイドル!』がいちばん思い出に残っています。

コロナ禍に昔のドラマを観たり音楽を聴いたりして、曖昧だった作品を思い出したり作品の良さを再確認できました。

 

そんな中でも、当時から好きだったのが1988年にCINDYが作曲した「人魚姫 mermaid」です。

「人魚姫 mermaid」はオリコンで年間9位、ベストテンでは年間4位です。

同日に発売したアルバム『Mind Game』は、父親の会社にミポリンのファンがいてカセットにダビングしてもらったのですが、車の中にずっと置いたままだったようでなかなかカセットをもらえず、聴いたら音がのびていて残念でした。

 

『Hide'n' Seek』というアルバムを買ってもらうのに、誕生日が待ち遠しかったり、リミックスアルバム『DANCE BOX』が聴きたくてよくレンタルショップに行ってもいつもレンタル中だったり、ドラマ『逢いたいときにあなたはいない...』の主題歌だった「遠い街のどこかで...」にも思い出があります。

 

80年代のアイドルは多忙で大変だったと思いますが、CSで当時の音楽番組を観ていると、みんな輝いていて、いい時代だったなと思います。

 

 

1998年夏のTKプロデュース作品連続リリース

1998年はTKブームも失速していましたが、もちろんいい曲はまだまだあって、CDの発売も楽しみにしていました。

 

当時ぼくは大学生になったばかりで精神的にとても病んでいましたが、そんな中の98年の6月~7月にかけて、毎週小室さんプロデュースのシングルが発売されました。ちょうどこの時期でとても印象に残っています。

 

1998/6/17 「tumblin' dice」 華原朋美

1998/6/24 「With Your Love」 amagata (天方直実)

1998/7/1 「love the island鈴木あみ

1998/7/8 「oh-darling」 convertible

1998/7/15 「ふわふわ ふるる」 tohko

1998/7/23 「ONE, TWO STEP」 Ring

1998/7/29 「here we are」 華原朋美

 

 

1998/6/17 「tumblin' dice」 華原朋美

ワーナーに移籍して第1弾シングル。同日にEvery Little Thingの「FOREVER YOURS」も発売されました。当時は知りませんでしたが、昨日の記事にも書いたように、このころは小室さんとエイベックスの関係が悪化していました。1位を取らせないように発売日を同日に合わせてきていますが、これは小室さん側が仕向けたそう。

 

結果はELT初動20万初登場1位朋ちゃん初動11.1万枚初登場2位

朋ちゃんはこの前年から歌い方が不安定になり、テレビでもおかしい言動が見られ、CDの歌唱も微妙で「テレビで歌っているときのほうがちゃんとしてるじゃん」と思うこともありました。

CDジャケットもあまり好きではないですし、最終的な売上も18.8万枚で前年までと比べてもかなり落ちていますが、曲のアレンジはかっこよくて好きです。

 

ちなみにELTの「FOREVER YOURS」は、352万枚を売り上げた2ndアルバム『Time to Destination』のあとに発売されたシングルですが、3人だった頃のELTの曲の中でも個人的に好きな1曲です。

 

1998/6/24 「With Your Love」 amagata (天方直実)

天方直実ASAYAN出身、久保こーじプロデュースでデビューしています。

小室さんがプロデュースした香港の歌手、graceの「What I Hold (Is Your Love)」の日本語カバー。

 

1998/7/1 「love the island鈴木あみ

ASAYANの『ボーカリストオーディション・ファイナル』で1位になり、小室さんプロデュースで歌手デビューをした亜美のデビュー曲。

当時、大学の近くに住んでいて、まわりに何もなくてとても不便でアパートを探しに電車でよく東京に行っていました。住むことになるアパートがある駅のCD屋さんで買ったのですが、そこに小室さんのサインが飾られていて、引っ越してからもよくそこでCDを買っていました。

 

小室さんは亜美のデビュー曲に2曲作って、そのうちの1曲がカップリングの「明日、あつく、もっと、つよく」。イメージに合わずにその後できたのが「love the island」。

 

初動6.7万枚で初登場5位。最終的に28.7万枚の売上です。

イントロのマリンバっぽい音、ディレイがかったギター、美しいストリングスなど、アレンジがよくて個人的にとても好きです。

 

亜美についてはまた後日書くつもりです。

 

1998/7/8 「oh-darling」 convertible

観月ありさとモデルのKAYATOのユニット。

当時、ありさが「ひさしぶりに曲を作ってもらうので、違う形でやりたい」みたいなことを言っていて、友人のKAYATOとのユニットになったようです。

 

ありさ主演、朋ちゃんも出ていた月9のドラマ『ボーイハント』の主題歌でした。

 

アコギがとても印象的でやけに目立つところがあります。曲の評価は高く、この曲が好きなファンも多いです。

小室さんとマークの共作ですが、ほとんどマークが書いてそうですよね。

しかし本当にマークの歌詞は意味不明です。

 

1998/7/15 「ふわふわ ふるる」 tohko

小室さんと日向大介さん共同プロデュースでデビューしたtohkoの3rdシングル。

日向さんは自身のユニット「CAGNET」で『ロングバケーション』や『ラブジェネレーション』の音楽を担当しています。

(ちなみに『東京ラブストーリー』、『ひとつ屋根の下』など多くのドラマの音楽を担当している日向敏文さんはお兄さん)

 

日向さんは松たか子の初期の音楽のプロデュースもしています。ぼくは日向さんの音楽も好きなので、当時tohkoがうらやましいくらいでした。

 

tohkoはハイトーンで歌唱力が高く、日向さんが作曲したデビュー曲、「BAD LUCK ON LOVE ~BLUES ON LIFE~」は初動2.4万枚で初登場14位。ベスト10にはランクインしませんでしたが、20位以内に9週チャートインし、最終的に32.8万枚の売上です。

ぼくはこの曲がとても好きで受験当時によく聴いていたのですが、こちらも作詞がマークで意味不明。

 

2ndシングル「LOOPな気持ち」は小室さん作詞、日向さん作曲。

当時、tohkoが小室さんに詞を書いてほしいとお願いして、歌詞がFAXで送られてきて嬉しそうだったtohkoを思い出します。

 

「ふわふわ ふるる」は小室さんの作曲で、ファンの間でも人気が高く、tohkoはこの曲でレコード大賞新人賞を獲得しました。

ベースラインが特徴的で、Bメロのギターがかっこいいです。

 

大学1年の前期の試験がやっと全部終わって、実家に帰ったときにちょうどMステでtohkoがこの曲を歌っていたのがなつかしいです。

 

1998/7/23 「ONE, TWO STEP」 Ring

小室さんが監修をしていた『小室魔力』というオーディション番組でグランプリを獲得し、日本と台湾2か国で同時デビューした台湾出身のRingの2ndシングル。

 

Ringは当時中学生で13歳でした。

デビュー曲の「Process」はオリコン初登場14位、台湾では4週連続1位。

「Process」ではイントロから小室さんのハモリが入っていて、曲にもかなり力を入れているように感じますが、ぼくは2ndシングルの「ONE, TWO STEP」のほうが好きです。

ただ、この曲の詞もマークと小室さんの共作で、マークがほとんど書いているのか、難しくて意味不明です。日本人でさえ意味不明に感じるのに「台湾の中学生にこんな難しい歌詞歌わせるなよ」って感じです。

 

1998/7/29 「here we are」 華原朋美

連続リリースの最初と最後を飾った朋ちゃん

朋ちゃんが「I'm proud」のような曲をまた歌いたいとお願いしてできた曲。

 

TBSのドラマ『ランデヴー』の主題歌でした。

とても素敵なバラードなのですが、このころは売り上げも落ちて、初動6.3万枚で初登場5位、最終的な売上も15.6万枚でした。

 

 

1998年後期以降、小室サウンドR&Bやヒップホップ路線が増えていきますが、個人的にあまり好きなサウンドではありませんでした。

2000年ころにはその頃独特のサウンド、さらにはその後のトランス期など、90年代中期のTKブームの頃とは違ったサウンドが多く見られるようになります。

 

「tumblin' dice」 華原朋美
「With Your Love」 amagata (天方直実)
love the island鈴木あみ
「oh-darling」 convertible
「ふわふわ ふるる」 tohko
「ONE, TWO STEP」 Ring
「here we are」 華原朋美

 

自分らしく生きるhitomiの魅力

25年前の今日は、hitomiの14枚目のシングル「君のとなり」が発売された日です。

この曲は作詞だけでなく自ら作曲もしていて、PlayStaitonのゲームソフト『ペルソナ2 罪』のテーマソングなのでゲームファンにも知られているかと思います。

 

当時の小室ファミリーのアーティストがプロデュースを離れてからも、ぼくがいちばんCDを買ったりライブにも行っていたのがhitomiちゃんです。

 

すでに小室ファミリーのブームは終わり、ほかのファミリーや元ファミリーたちの売り上げも落ちていましたが、これ以降も「LOVE 2000」等のヒットを飛ばしたhitomiちゃんは、脱・小室に成功した数少ないアーティストです。

 

 

hitomiちゃんはTRFとともに、早い時期から小室ファミリーを盛り上げたアーティストで、95年4月発売の3rdシングル「CANDY GIRL」が39万枚のヒット、96年9月発売の2ndアルバム『by myself』でオリコン1位を獲得、80万枚を売り上げています。ほかにも素敵な曲がたくさんあり、1年にシングル3枚、アルバム1枚のペースで発売していました。

 

小室ファミリーの中でも個性的で、ほかの小室ファミリーのアーティストに比べて売り上げが低く、異端児と言われたり「小室ファミリーの落ちこぼれ」と自称していましたが、シングルは2~30万枚売り上げていたし、自分で詞を書き、どこかサバサバしているけど、内気なぼくにとって、いつも自分らしさを大事にしているhitomiちゃんがとても魅力的でした。

高3のとき、同じクラスの女子が「小室ファミリーでhitomiがいちばん好き」と言っていて嬉しかったのを覚えています。

 

当時、小室さんとエイベックスの関係が悪化していて、TRFとhitomiちゃんはTKプロデュースを離れることになり、97年11月に発売した3rdアルバム『déjà-vu』を最後に小室ファミリーを離れたhitomiちゃんは、98年4月に自身で作詞作曲したシングル「空」を発売しましたが、初登場19位。

この後も「Progress」が20位、「Someday」が25位と、売り上げも落ちていきましたが、99年2月にベストアルバム『h』を発売し、2週連続1位を獲得しています(58万枚の売上)。このベストアルバムには小室ファミリー時代のシングルと、ファミリーを離れてから発売したシングルが収録されていて、これまでの活動に一区切りを付けたものになっています。

 

ベストアルバム『h』のあと、99年6月に発売されたのが「君のとなり」です。このシングルは「君のとなり」、「WISH」、「MADE TO BE IN LOVE」のトリプルA面シングルで、初登場13位。

99年8月に発売された次のシングル「there is...」が初登場17位。

小室ファミリーを離れて以降売り上げが落ちていましたが、2作ともスマッシュヒットし、このあたりから人気、売り上げともに上昇していきます。

 

ちょうどこのころ、hitomiちゃんは作家陣に渡辺善太郎さんを迎え、以降多くの楽曲を発表していきますが、のちにhitomiちゃんはこの渡辺善太郎さんとの出会いが大きかったと語っています。

 

2000年6月に発売されたシングル「LOVE 2000」は、のちに高橋尚子が聴いていた曲として有名になりましたが、初登場5位でひさしぶりにベスト10にランクインしたのがうれしかったです。

 

2000年12月に発売された5thアルバム『LOVE LIFE』は初動34.7万枚を売り上げて初登場2位だったのですが、このとき初登場1位だったのが初動35.4万枚を売り上げたKinKi Kidsの『D album』で、僅差だったのが悔やまれます。

(最終的な売り上げは『LOVE LIFE』76万枚、『D album』50万枚でhitomiが勝っている)

 

ぼくは2002年1月に発売された6thアルバム『huma-rhythm』がとても好きなのですが、当時日本武道館にライブを見に行ったんですよ。この1週間くらい前にはglobeも日本武道館でライブがあって、そっちにも参戦したのがなつかしいです。

 

小室ファミリーを離れてからも「CANDY GIRL」、「by myself」、「BUSY NOW」の3曲はよくライブで歌っていて、思い入れがあるのかななんて思っていました。

「BUSY NOW」は小室さんではなく久保こーじ作曲ですが、飛行機の中で詞を書いたそう。

 

2004年の夏に渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)で参戦したライブでは、hitomiちゃんの意向でエアコンが止められ40℃ライブを行ったのですが、めちゃくちゃ暑くて、でも好きな曲も歌ってくれていい思い出です。

一緒にライブに行った、当時近所に住んでいた主婦さんも「hitomiは歌がうまいね」と言っていたし、YouTubeで「hitomiの詞いいね」というコメントを見るとうれしくなります。

 

hitomi 14thシングル「君のとなり」
15thシングル「there is...」



軽音部の先輩とシンセサイザー 2

昨日の続きです。(一部記事修正しました。)

 

前回の記事はこちらです。

punkumaryuya.hatenablog.com

 

U先輩:軽音部の1つ上の憧れの先輩。陸上部にも入っている。小室さんファンで、小室さんがプロデュースしたシンセサイザー、EOS B700を持っている。

Kくん:地元も一緒で近所に住む1つ上の先輩。U先輩とは陸上部で一緒。学園祭でU先輩とTMの曲をコピーし、ボーカルを担当していた。Kくんの弟がぼくと同学年で仲が良く、Kくんも弟も小学生のときに習っていた空手で一緒だった。

Eちゃん:地元も一緒の女子。高1の途中で軽音部に入り、一緒にバンドを組む。中学のとき英語のスピーチコンテストに一緒に出場した。

 

 

Eちゃんをボーカルに迎えて組んだバンドの活動がはじまり、その後も変わらずぼくはglobeや朋ちゃんなど、小室さんの曲の楽譜をよく買ってキーボードで練習していましたが、どうしてもシンセサイザーが欲しくて、年明けに自分の貯金で買ったシンセサイザーYAMAHA EOS B900です。

母親はこのときも呆れていましたが、楽器屋の奥さんは「でも楽器はいいですよ」と言ってくれました。

 

B900は先輩が持っていたB700より新しい、当時発売したばかりの小室さんプロデュースのシンセサイザーです。

(当時コムロギャルソンがメインになっていたテレビ東京の『ASAYAN』の中で、EOSのCMが流れていた。CMには小室さんも出演していて、CMで流れていたのがのちに『SWEET 19 BLUES』に収録される安室奈美恵の「i was a fool」)。

 

シンセサイザーはキーボードと比べると音の種類も豊富で、自分で曲を作ることもでき、EOSには別売で小室さんがプロデュースした作品のデモ音源が収録されたフロッピーディスクがあってとても魅力的でした。

 

ぼくが買ったシンセサイザーを見てU先輩は「いいなー。こんな機能もあるんだ」とうらやましそうでした。

 

その後はこのシンセサイザーで活動するようになりますが、重量が18kgもあり、専用ケースに入れると持ち運びがとても不便でした。

自転車やバイクでも背負えるギターやベースと違い簡単に持ち運びできないので、シンセサイザーを持っていく日は車で送ってもらいますが、校門から教室まで持っていくのも苦労しました。

途中から肩にかけられるケースを買いましたが、それでも華奢なぼくには大変でした。

(大学のときにシンセサイザーを肩にかけ、電車で何度も乗り換えをして実家に持ち帰ったら肩が血だらけになったことがあった)

 

 

高1の冬、卒業する3年生を送る予餞会がありましたが、1年から出たのはぼくが抜けた後のバンドで、出られなかったぼくとEちゃんはお互い「すっごい悔しかったよね」と言い、来年は絶対やりたいねという気持ちでした。

 

シンセサイザーを買って、可能性が広がったことで、これからは自分が好きな音楽をやりたいと思い、Eちゃんにボーカルをお願いして、高2で同じクラスになったベースの男子にもかけもちをお願いして、3人で、ジュディマリの曲をやるバンドと別に小室さんの曲のコピーをすることになりました。

 

高2の学園祭では、ジュディマリコピーバンドで1曲と、小室さんの曲を3曲披露しました。(「BOY MEETS GIRL」、「恋しさと せつなさと 心強さと」、「Feel Like dance」)

このとき3年生になったU先輩は1年生の女子をボーカルに迎えglobeの「DEPARTURES」を披露し、学園祭のあとに行われた後夜祭でも披露しました。

先輩にはやはりオーラがありました。

 

U先輩、Kくんたち3年生を送る冬の予餞会では、3人(ぼく、Eちゃん、高2で同じクラスになったベースの男子)で「I'm proud」を披露しました。

シンセサイザーで音源を流し、ピアノをミュートして、グランドピアノでぼくがピアノを弾くというスタイルでした。

予餞会のあと、U先輩に「かっこよかったよ」と言ってもらえたことがとてもうれしかったです。

 

このころになると、コピーだけでなく、シンセサイザーで自分の曲を作るようになっていました。

作詞作曲を始めたのは小学4年のときですが、これまで自分でアカペラで歌ってカセットテープに録音するだけだったのが、シンセサイザーで打ち込みをして、オケの状態まで形にするようになりました。

 

高3になって、重いシンセサイザーを持ち運びするのが大変だったため、教室の廊下にあるロッカーの上に置いたままにして、毎朝早く登校して少しずつ打ち込んで曲を作っていました。

 

高3の学園祭では、バンドでは相川七瀬の「恋心」、ジュディマリの「くじら12号」を披露。そのほかにあとから軽音部に入ったクラスの友達SくんとEちゃんがデュエットするのにPUFFYの「サーキットの娘」を打ち込み、小室さんの曲ではU先輩と「DEPARTURES」を披露した1つ下の女子にもボーカルをお願いして「I'm proud」、「Don't wanna cry」を披露し、Eちゃんにはコーラスを担当してもらいました。

Eちゃんとは「FACES PLACES」、「FACE」、「Feel Like dance」を披露。

学園祭のあとの後夜祭では、Eちゃんがボーカル、Sくんがコーラス、ぼくがシンセで「Can't Stop Fallin' in Love」を披露しました。

Feel Like dance」、「Can't Stop Fallin' in Love」ともにSくんがラップをやりたくないと言って、なぜかぼくがシンセとラップを担当したのですが、コーラスをやりたかったのが後悔している点です。

 

学園祭が終わり、軽音部の活動も終えて、受験に向けての毎日。

進学校だったので、夏休みもほぼ毎日学校に行き、当時校内に新しく建てられた施設でよく勉強していました。

2学期になると土日も毎週のように模試があり、当時を振り返るといちばんがんばっていた時期だと思います。

 

勉強の合間にシンセサイザーを弾いて曲も作っていましたが、クリスマスイブに、ちょうど作っていた曲の区切りもついて、受験本番に向けてシンセサイザーを封印しました。

 

無事に大学に合格し、シンセサイザーをケースから出して最初に作ったのは、高校を卒業する自分に向けての曲でした。

大学に入学してからの話はまた書こうと思います。

 

YAMAHA シンセサイザー EOS B900の取扱説明書

JUDY AND MARY 「くじら12号」のバンドスコア

軽音部の先輩とシンセサイザー

この時期になると、高校の学園祭を思い出します。

思っていたよりも記事が長くなったので、2日にわけて書きます。

 

高校に入学してなかなかクラスに馴染めず、中学のときのいじめに近いようなこともあってつらかったのですが、音楽に対する思いは強くなっていました。

 

中3の夏、高校の説明会で軽音部があることを知り、入学できたら絶対入りたいと思っていました。

 

入学してすぐ、体育館で行われた新入生歓迎会

ボーカル、ギター(かベースどっちか忘れた)と共にステージに立ち、シンセサイザーTM NETWORKの「We love the EARTH」を演奏する先輩を目にしたぼくは衝撃を受けました。

確か、今まではギターやベース等だけだったのが、こういう場でシンセサイザーが登場したのはこのときが初めてだったそう。

 

ある日の昼休み、軽音部への入部希望者が2年生のクラスに集まりました。紙が配られて自分の名前と好きなアーティストを書くように言われて、ぼくはZARDと書きましたが、そのとき近くにいた先輩と小室哲哉の話になって、「あ、でも小室さんも好きです」と答えると、「(紙に)書け書け」と言われて書いたのを覚えています。

その先輩こそが、新入生歓迎会シンセサイザーを弾いていたU先輩でした。

 

U先輩はほかの先輩と、当時内田有紀が小室さんプロデュースで新曲「Only You」を発売する話をしていました。

ほかの入部希望者はギターやベースなどロックが好きな男子ばかりで、軽音部にシンセサイザーを弾いている部員はほとんどいないようで、ぼくは浮いている感じもしましたが、U先輩との出会いによって大きく気持ちが変化していきました。

 

U先輩は小室さんがプロデュースしたYAMAHA EOS B700というシンセサイザーを持っていました。

ぼくはなぜそんな高価なものが買えるのか不思議でしたが、先輩は高校に合格したときに買ってもらったと言っていました。

 

「どんな音楽をやりたいの?」

accessとかやりたいです」

accessは難しいぞー! LYIN' EYESって曲あるじゃん、すっごい難しいよ」

 

内田有紀のOnly Youの最後にずっと鳴ってるピアノ好きです」

 

「大ちゃん (浅倉大介)が弾いてるKX5かっこいいですよね」

「あれだけじゃ音はならないんだよね」

 

当時まだシンセサイザーに関してあまり知識がなかったぼくに、いろいろ話してくれました。

 

 

軽音部といっても実際は同好会で、学園祭でのバンド演奏のほかにはほとんど活動もありませんでしたが、クラスでは暗く静かなぼくが軽音部に入っているというのは、当時まわりからは意外だったかもしれません。

 

入部したものの楽器を持っていなかったので、GWに祖母が3万円くらいのキーボードを買ってくれました。

家では自分の好きな音楽を弾いていましたが、軽音部の1年生に自分と同じ音楽が好きな部員がいなくどう活動していいかもわからないまま、6月の学園祭に1年生の部員だけで1曲演奏することになり、楽譜のコピーをもらいました。

ぼく以外の、ボーカル、ギター2人、ベース、ドラムの1年生5人で曲を決めたようで、楽譜のコピーをもらったときには「これやるから」みたいに言われた感じでした。

結局、高1の学園祭で演奏したのは1曲。知っている曲でしたが、勝手に決められた曲で、ぼくがやりたい音楽ではありませんでした。このときぼく以外の1年生の部員はいろいろな先輩たちとほかにバンドを組んでいて、何も知らないぼくは、何曲も披露しているほかの部員たちをうらやましいと思っていました。

 

U先輩は「LOVE TRAIN」など、TMの曲を数曲やっていて、このときのボーカルは近所に住んでいるぼくの友達のお兄ちゃん、Kくんでした。Kくんは1つ上の地元の先輩で、小学校のとき習っていた空手が一緒でした。ぼくはKくんの弟と仲が良く、部活も習い事も一緒で、中学のときは毎朝一緒に通学していましたが、Kくんとはあまり話したことがなく、少し怖い印象がありましたが、Kくんが高校に合格したときはなぜか自分のことのようにうれしくて、憧れのような存在でした。

 

U先輩は陸上部にも入っていて、Kくんも陸上部で、ふたりともTMのファンで、それで一緒にユニットを組んでいるようでした。

 

U先輩のほかに、EOS B700を持っている先輩がいて、その先輩は「WOW WAR TONIGHT」を披露していました。

当時のぼくには、CDと同じような音源がシンセサイザー1台から出ていることが不思議でとても画期的でした。

 

ぼくが持っていたキーボードは、いろいろな音は出せてもシンセサイザーのような機能はなく、20万円近くもするシンセサイザーを持っている先輩たちがうらやましかったのです。

 

高校に入って初めての学園祭が終わり、その後もたまに何曲か楽譜のコピーをもらって、高校の近くにある楽器屋のスタジオに集まって練習したこともありました。

もらった楽譜はラルクの「Blurry Eyes」、GLAYの「ずっと2人で…」など。

Blurry Eyes」は「ボーカルが入る直前の音が楽譜に載っていないんだけどキーボードでこの音出せる?」なんて言われたり、「ずっと2人で…」は個人的に好きで、のちにひとりで練習したりしました。

でも、途中で違う部員が入り、ぼくの代わりにキーボードを弾くことになり、それらの曲にぼくは携わらずにバンドから抜ける形で終わってしまいました。

 

その後、そのバンドにいたギター2人のうちの1人、ベース、ドラムのメンバーが兼任で、「JUDY AND MARYのコピーをやろう」ということになって、ぼくのほかに新しく女子Eちゃんをボーカルに迎え、5人でバンドを組みました。

Eちゃんは地元が一緒で、家も近く、中学のときに英語のスピーチコンテストに一緒に出場したりして親交があり、最初にわけもわからずバンドを組んだときの複雑な気持ちはなかったと思います。

 

楽譜のコピーをもらったのはジュディマリの「ドキドキ」や「小さな頃から」。

「小さな頃から」はキーボードのパートが多く、当時のぼくは必死に覚えていた気がします。

 

つづく

 

YAMAHA シンセサイザー EOS B900と対応のフロッピーディスク



『OH MY LOVE』30周年!!!

1994年6月4日。

ZARDの5枚目のアルバム『OH MY LOVE』が発売されてからちょうど30年です。

 

先月の27日が泉水ちゃんの17回目の命日、つまり18回忌でした。

毎年SNS等で「今日は坂井泉水さんの〇回忌」という話題を見かけますが、案の定今年も17回忌と書いている人がほとんどで、正しくは18回忌です。

回忌の場合は亡くなってからの年数+1なので、17回忌と言ってる人、全員間違ってます。

 

35周年YEARとなる2025年、リクエストベストアルバムがまた発売されるそうですが、これまでにも未完成の状態でシングルを発売したり、何度もベストを出したり、今までのことも考えると「。。。」って感じですね。同じ気持ちのファンの人がいたら嬉しいのですが。

 

先日も書きましたが、当時いちばんつらいいじめに遭っていたぼくは毎日ZARDの音楽に救われていました。

 

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中2の冬にいじめが落ち着いて、中3になったころはクラス替えはありませんでしたが学校もだいぶ楽しくなりました。

といってもクラスに頭がいい生徒が多くて、定期テストのたびに悔しい思いをしていました。中2のころの成績はクラスで6番になることが多く、6という数字が嫌いになるほどでした。たまに3番をとったときには、「じゃあいつも〇位にいるのは誰だろう」と考えたりしていました。中3になってすぐ、はじめてのテストが2日間あって、1日目の夜に担任から電話がかかってきて「今、学年で4位だから明日もがんばれ」なんて言われたのですが、2日目の国語がだめで結果学年10位に落ちてしまい、代わりに2日目の成績がよくて学年4位になった同じクラスの男子が、「よしっ!」って言ってて、すごい悔しかったのを覚えています。

 

それがあったからか、中3になってからはクラスでの順位も上がって学年2位をとったりできたのですが、やはり競争相手って大事なんですかね。あまりライバル視したり人と争うのが嫌いなのですが、中学の頃は仲良く話していても裏では猛勉強して「あいつには絶対負けない」みたいにみんな思っていたんだろうななんて思うと怖くなります。

 

話がそれてしまいましたが、そんな中学3年だったぼくが当時から大好きで、今でもZARDでいちばん好きなアルバムが『OH MY LOVE』です。

 

先日の「survival dAnce」でも書きましたが、『OH MY LOVE』が発売された1994年6月4日は修学旅行の初日で奈良を観光して京都に行き、京都の旅館に泊まりました。

 

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ってことは、土曜日発売だったんですよ。

実際前日にお店に売っていて買ったので、録音してポータブルカセットプレイヤーで持って行って、禁止だったので見つからないように聴いていましたが、CDそのものを持ってきている人もいました。

 

このアルバムのジャケットや歌詞カードの泉水ちゃんがとても好きで、ラミネートされた写真を探しに原宿に行って買ったり、写真屋さんに行って作ってもらったりしました。

 

『OH MY LOVE』は初動57.9万枚を売り上げ、オリコン75週もランクインし、チャートイン最終週に200万枚を突破し(200.2万枚の売上)、94年の年間アルバムランキング5位です。

 

素晴らしいアルバムなのに、1位を獲得したのは初登場週のみでした。

『OH MY LOVE』は2週目も34万枚を売り上げていますが、36万枚を売り上げた福山雅治の『ON AND ON』が僅差で初登場1位だったため、2週目は2位だったのが個人的に悔やまれます。

 

9月になるとやはり聴きたくなる「もう少し あと少し...」、『白鳥麗子でございます!(第2シリーズ)』の主題歌だった「きっと忘れない」、とても寒い冬の雨の日に買いに行ったこの愛に泳ぎ疲れてものシングル3曲をはじめ、ZYYG,REV,ZARD&WANDS名義で発売された「果てしない夢を」のカップリング「雨に濡れて」ZARDバージョンのほか、どれも完成度が高い曲が収録されていて、とても思い出があります。

 

泉水ちゃんがシングルカットしたかったと言っていた、ファンからの人気も高い「Oh my love」、女の子のかわいい心情を歌った「Top Secret」、ピアノが美しくせつない、壮大なバラードである「I still remember」ボサノヴァ調から後半になるにつれて盛り上がる「来年の夏も」、当時幼なじみでWANDSファンの友達が好きだと言っていた「あなたに帰りたい」、どれも最高ですが、「If you gimme smile」を忘れないでほしい!!

 

ぼくは当時から、このアルバムの中で「If you gimme smile」がいちばん好きで、中学の卒業文集にも歌詞を書いたり、3曲選ぶリクエストでも投票したほど好きなのですが、この曲だけ陰に隠れてしまっているのがとても残念なのです。

 

中3のときからずっとこの曲には特別な思い入れがあって、明るいアレンジとすごく前向きな歌詞が、特に英歌詞の部分が好きです。

 

B-Gram RECORDS 1994 / ZARD 大黒摩季 DEEN WANDS ZYYG
当時送られてきたポストカード

LOVE BRACEとの28年

28年前の今日は、華原朋美の1stアルバム、LOVE BRACEが発売された日です。

 

1996年の小室さんプロデュースの3大ヒットアルバムのひとつで、個人的にもとても思い出があります。

好きなアーティストの作品が発売された時期になると毎年聴きたくなりますが、このアルバムは特にそうですね。

 

ちょうど28年前の今日も月曜日で、「I'm proud」が大ヒットしたあとの待望の1stアルバムだったので、まわりを見てもそんなにファンじゃないって人もけっこう買っていた気がします。

当時高校2年生で、1年のときに同じクラスだった男子が自転車置き場にいて、ぼくがいきなり「Living on...!」のサビを「Where do you go? Where do you go?」と歌い出すと、「Do I do? I do? I do?」と歌ってくれたり、そんな学生でした。

 

ひさしぶりにアルバムの歌詞カードを見ましたけど、こっちが恥ずかしくなるくらい小室さんが写っていますね。何かとお騒がせの朋ちゃんですが、今でも当時のあの高いままのキーで歌えるのは本当にすごいことだし、ずっと応援しています。

 

当時「HEY!HEYHEY!」でよくダウンタウンにいじられていた朋ちゃんですが、番組の初期のスペシャルに出演することが多く、馬や象に乗って登場していました。「HEY!HEYHEY!」は歌以外にダウンタウンとアーティストのトークがおもしろくて好きでした。途中から番組の内容が変わっておもしろくなくなりましたが、CHAMPとして毎回メインゲストが出演して、番組の半分を使って2~3曲歌って、ダウンタウンと座りトークをしていたころがいちばんよかった。

朋ちゃんがゲストの際、毎回観覧席に同じ男の人がいたんですよ。ファンの人だと思うんですけど、そんなことを思い出しました。

 

LOVE BRACE」は初動131万枚を売り上げ初登場1位。3週目には1位に返り咲き、最終的に257万枚の売上です。1996年の年間アルバムランキング9位。この年の年間アルバムは10位の相川七瀬「RED」まで、TOP10作品はすべて200万枚超えです。

(1位はglobe「globe」、2位は安室奈美恵SWEET 19 BLUES」、3位はB'z「LOOSE」、TOP3はすべて300万枚超えで、globeは最終的に400万枚超え)

 

アルバム発売当時、「MUSIC STATION」、「HEY!HEYHEY!」、「ASAYAN」などでは「Just a real love night」や「Living on...!」をよく歌っていましたが、ファンの間でも人気が高い「summer visit」、小室さんと朋ちゃんの作詞である「MOONLIGHT」、タイトル曲でもある「LOVE BRACE」など、名曲が多い作品です。

 

シングル3曲はリミックスされ、「I'm proud」に関してはフルバージョンになっています。

アルバムバージョンになると、先にシングルで聴いているオリジナルバージョンのほうが聴き慣れていたりして、原曲のほうが好きってことが多いですが、朋ちゃんの場合はそんなこともないんですよね。「keep yourself alive」はギターがかっこよくなり、打ち込みドラムも変わったことでベルサウンドがより引き出されていて、シングルバージョンであるRADIO EDIT MIXよりも好きだし、「I BELIEVE」はバラード調になり、かなりアレンジが変わっていて、ここまで変わると普通オリジナルのほうがいいはずが、シングルバージョンであるRADIO EDITと同じくらい完成度が高いです。

また、「I BELIEVE」はシングルバージョンより歌詞が足されたりカットアウトになって7分近い曲になっていますが、ラストサビ~アウトロのクリーンギターがとても好きです (アコギもいいけど)。バラード調になったことで、シングルでは強さを感じていたのが、アルバムでは優しさが感じられます。

 

ファンの間でも人気が高い「summer visit」は、朋ちゃん自身もお気に入りでシングルカットしたかったそう。1分以上あるイントロがとても好きで、途中から入ってくる小室さんのコーラスを真似しても息継ぎせずにできないことが多いです。

 

「Somebody loves you」も小室さんのハモリが特徴的です。アルバム発売前にお店で流れていて、そのときから好きだったのですが、サビのシンセブラスが印象的です。

 

「summer visit」と「Somebody loves you」は高校の学園祭でやろうと思って途中まで打ち込みしたのですが、ボーカルの女子があまり乗り気じゃなかったりほかにもやりたい曲があったりしてお蔵入りしてしまいました。

なので、個人的にはこの2曲は同じような位置付けの曲です。

 

アルバムタイトル曲でもある「LOVE BRACE」はイントロのピアノやアコギ、Aメロのコード進行、2コーラス目から入る小室さんのハモリといろいろお気に入りです。アルバム発売の翌月にシングルカットされましたが、1コーラス目のBメロからドラムが入っていたり、アウトロの小室さんのハモリがミュートされていたり、アレンジが変わっています。

この曲は小室さんが出演していた第一興商DAM」のCMソングだったのですが、2バージョンあっていつも2バージョン続けてCMが流れていたのがなつかしいです。

 

I BELIEVE [play piano]」は当時買ったばかりのシンセでめちゃくちゃ練習していました。「I BELIEVE」自体とても難しいので、楽譜を見て必死で覚えていましたが、楽しい思い出です。

 

1996年の夏は冷夏であまり晴れなかった記憶がありますが、小学校から一緒だった地元の友達たちとよく近所の友達の家で遊んでいて、そこで「バンドを組もう」ってことになってすぐ終わってしまったり、夏祭りに行ったりカラオケに行ったり、なつかしいです。

 

余談

 

LOVE BRACE」についてずっと疑問に思っていることがあって、

 

Carry on Carry on! LOVE BRACE

届けない

Carry on Carry on! LOVE BRACE

思いを

 

という歌詞があるのですが、「届けない」じゃなく「届かない」じゃない?

朋ちゃんも「届かない」って歌ってるし。

「届けない」だと意味も変わってくるし。

 

あと、「carry=運ぶ」ですが、「Carry on=続ける」という意味になるのに、「伝えたい 運んで」という歌詞もあることから、Carry onが「続けて」じゃなく「運んで」という意味で書かれているように思えるのはぼくだけでしょうか。

 

華原朋美LOVE BRACE」とバンドスコア